2020年08月02日
夏の事。
こんにちは、堀河です。
久しぶりの投稿となりました。
ここの所コロナ禍の影響を本業がマトモに被りまして、毎日深夜まで仕事が及んでおりまして…
東京、500人感染が見えて来ましたがまぁするだろうなあ、とも思います。
こちらとしては圧倒的な物資不足や急変時の病院確保に頭の痛い毎日です。
きっと皆さまそれぞれに戦ってらっしゃるのだろうな。
一概に誰かを責める事は出来ませんので、取り敢えず目の前の事をクリアしていきます。
関東、梅雨が明けましたね。
空が青くて暑い季節がようやく到来しました。
元々夏はあまり得意では無いのですが、相方がガンになってからはこの晴れた夏の日が本当に苦手。
色々な思い出が、殆どこの6.7.8月に詰まっているからです。
もしかしたら、看取った時より未だ癒えない傷が口を開けている季節。
それが夏。のイメージになりました。だから闘病記でも飛ばして書いています。この時期。
ガンが発覚して、最初の手術が6月。退院が7月。
再発疑いが出たのが次の年の6月。再手術が6月末、退院日の7月頭の前日に骨転移と腹膜播種が発覚。
両年、ケモを開始したのが8月。
夏は2年間、暑い中毎日病院に通った記憶しかありません。
去年、病院に行かなくて良くなったのに
出掛ける度に病院の最寄駅でふらりと降りそうになる自分が居ました。
今年はコロナがあるので電車を使わなくなったのが、ちょっと幸い。
相変わらず疲れても眠れない日々だけど
何気にベランダから見上げる青い空だけは大好きです。ラベンダーもバラも紫陽花も、私に無闇に話しかけず、ただ美しい命を謳歌しているので。
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2020年07月05日
桜。
こんにちは堀河です。
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中々blog更新に至らないのは、まぁ新型コロナウイルス関連で本業の仕事量が以下略です。
やれる事が全て予防と事後対策しか無いのが口惜しい処ですが、それで守れる命があるなら微力でも頑張りたい所。
多分このblogを読んでくださっている皆様もそれぞれ大変な思いをなさっているかと思います。
頑張れる程度に頑張りましょう。時々息抜きしながら。
闘病記と呼べる内容では無くなって来ていましたが、今回で一応の一区切りなのかな。
相方氏を空に送ったのは、4月7日。
快晴でした。
桜の花が満開で、私の記憶には殆ど有りませんが空の青と桜の薄桃で埋め尽くされた旅路となりました。
相方氏の葬儀は、お別れ会。
通常葬では有りませんので、来ていただける方には
式服では無くて構いません。迷われた場合は黒っぽい御洋服で。(その後の精進上げなどが有りませんから、相方氏に会いに来たついでに各々仲間内等で集まって歓談の流れになった時、式服集団だとお店に入りづらいでしょうから)
香典・供花はご遠慮下さい。そのかわり、相方氏に持たせてやりたいものが御座いましたらお持ちください。
この二つを友人代表1名と以前の職場仲間1名、リハ病院に伝えておきました。
そうして、当日。
私もファイナルプランナーの方もビックリしました。
何と、50名を超えたのです…。
慌てて記帳台を増やし、来ていただいた方々の整理にもう1人葬儀社様から出して頂き、それはそれは賑やかなお別れ会に。
読経等も有りませんから、来ていただいた皆様各々お過ごし下さい。と最初の挨拶をした後、皆さん相方氏とギリギリ迄過ごして下さいました。
医療関係と副業の作家関係の皆様という凄い絵面(中には院長先生もいらした…)でしたが、
皆様が持ち寄って下さったものが、また。
不謹慎ですが、未だに家族内で笑い話になる程です。
だって、最初に頂いたのがニンニク風味の鳥の唐揚げ1キロ!
良く仕事終わりに一緒に行った飲み屋で必ず相方が頼んでいた唐揚げだそうで、お店に事情を話してわざわざ揚げたてを持ってきてくれたらしいのです。これがまた美味しい匂いで、お別れ会会場が一気に美味しそうに。
勿論、相方に持たせてやりました。
それからも、写真仲間から一緒に撮った写真の数々、沢山のお酒、皆んながそう来るだろうと踏んだ方々からの大量のお摘み(巨大スルメが爆笑を呼びました)、発病してから食べられて居なかったコロッケやらマックのバリューセットまで。
此岸から彼岸に渡る時に持たせてやった供物は、彼方で10倍になると言う話を誰かがして、
『唐揚げ10キロは渡し船が転覆するんじゃ無いのか』と大爆笑に。
中には『六文銭がいるだろう』とガチの六文銭を巾着に持って来てくれた方まで居て(これは燃えないのでお供えになりました)
何というか、不謹慎ですが
相方氏らしい旅立ちだったのでは無いかと思います。
プランナーさんが頼んで置いた沢山のお花を持って来てくれて、前に書いたように百合や菊じゃない、オレンジやイエロー、ピンクやグリーンのガーベラやチューリップ、カーネーションを皆んなにせっせと飾ってもらい(誰も唐揚げを隠してはくれなかった辺りに相方氏の人柄が…)
最後に『蝶』の名を持つ連翹の枝を持たせました。彼方と此方を行き来する時は、蝶に姿を変えるらしいから、人の魂魄は。
出棺の挨拶をした後、皆様から『言い方が不適切かもだけど、相方氏らしい良い式だった!』と言って頂き、送り出して貰いました。
本当は皆さんお骨を拾う所まで望んで下さったのですが、あまりに沢山の人が望まれたのでそちらは辞退して頂く事に。
プランナーさんは
『ご親戚が参加されない葬儀はあまり無いですが、だからこそ本当に縁深い方々が集まったんですね』
と言っていました。
……そんな喧騒も去り、骨上げは私と私の家族4人で行いました。
……4人で、充分でした。
一年近くの抗がん剤と、全身転移した癌が未だ40そこそこの相方氏の骨を全て粉にしてしまっていました。
脊柱は一つも形を遺しておらず、硬いはずの大腿骨、下顎骨も有りませんでした。そういえば、歯も無かった。火葬場の係員さんが通常ですとお骨の説明をしてくれた後、上方に乗せるお骨を寄り分けて下さいますが、選り分ける骨が有りませんでした。辛うじて頭蓋骨の一部が残っていたので、それのみ。
この『がん』という病の恐ろしさ、それに立ち向かった相方氏の勇気が一目で分かる姿でした。
係員さんがそれでも丁寧に集めてくれたお骨を収めた箱を、私に渡してくれました。
ほのかに暖かく漸く相方氏が戻って来た気が、しました。
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2020年06月20日
相方くんの置き土産。
お久しぶりです、堀河です。
中々本職の方が本当に忙しい。連日出勤で休んだのがいつなのか思い出せないような有様です。休みの日も問題が起きると電話が来るので結局休みなのか何なのか…
最近は家に帰ると一度寝落ちしてしまうので、ご飯や片付けも座らない様にしています…
直ぐに風呂に入って、立ったまま家事と明日の準備と夕飯。座ったら終わり。
それなのに布団に入ると全く眠れないので、最近はソファの前の床に座って、もたれて毛布被って仮眠の様な有様です。
この姿、覚えがあるなと思ったら
最後の入院前、激痛で苦しむ相方氏をリビングに寝かせていた時こんな風に寝ていました。
リビングなら血を吐いてしまっても、医療用麻薬のレスキューを飲ますのもリビングキッチンだから直ぐ出来る。
リビングの扉を開けたら直ぐ右手がトイレなので、催したら即介助に移れるし、最悪立てなくても長方形座布団に寝転んで貰ってフローリングの廊下を座布団ごと引っ張れば相方に負担無くトイレに行ける。
何より毎日1時間置きにバイタル確認をしていたので、私が熟睡をする訳にはいかなかった。吐いた血で窒息してないか、訴えられない程の痛みで苦しんでないか。
痛み止めは一式テーブルにわかりやすく並べて置いてあったのですが、一度余りの痛みに私が気付く前にロキソニンと間違えてオキシコドンを飲んでしまい、過剰内服になって深夜に医大に電話をしたりもしました。
それ以来私の一回の睡眠時間は更に減り、10分程気絶する様に寝ては目を覚まし、呼吸確認と室温確認をした後残薬の確認をし、其れ等を記録に取ってからまた仮眠する。というような日々を実に3ヶ月以上、仕事をしながらやり通した事になります。
結局、その時のサイクルは今でも抜けずに
私が熟睡するのはリビングのソファとテーブルに挟まれた床に座ってもたれている時だけ。
30分もしないで起き、細々と思いついた用を足し、それを数度繰り返して4時には完全覚醒。
もう食事の支度をしなくて良くなった代わりに、ぼんやりとベランダから朝焼けを眺めます。
いつかはもう少しまともな生活に戻る日が来るのだろうか。
でもこれも相方氏との大切な戦いの証でもあるし、この生活で暫くは居たい自分の心なのでしょう。
最近は朝が早く来ます。
相方に強請られて育てていたラベンダーが美しい季節です。